PCカーテンウォールの源流 第1回

この原稿は東京大学の清家剛先生に依るPCSA広報誌(1999年18号)にご執筆頂いた原稿を当時のまま掲載しております。所属・肩書き等も当時のままです。

東京大学工学部建築学科 助手

清家 剛

本連載は、4回にわたりPCカーテンウォールの発達の歴史を振り返り、現在の技術の原点となった建物を紹介するものである。今回はその第1回として「最初のPCカーテンウォール」について紹介したい。尚、この原稿は1994年にプレコンシステム協会より出版された「ファサードをつくる」の内容を、再編集したものである。

第1回「最初のPCカーテンウォール」

戦前のプレキャストコンクリート

日本におけるプレキャストコンクリート(以下PCと略す)の技術は、道路の側溝や擁壁などの土木の世界では、戦前から本格的に採用されており、建築でもいくつかの事例を見ることができる。大正初期に電信柱や枕木などの鉄筋コンクリートを用いた各種部材を考案していた伊藤為吉は、大正7年に上野で行われた電気博で、PCを組み合わせた構造「組立混凝石建築」を考案している。そして実際に許容式コンクリート造として日本橋付近に食堂を建設し、関東大震災に耐えたという。またPCの一つの形であるコンクリートブロックについても、やはり大正期に中村鎮によってL型ブロックが開発され、いくつかの建物に適用されている。このころの実用新案には、PCによるブロックや塀のシステムの案が、いくつも出願されている。

一方建築の化粧部材としての外壁への利用もみられる。昭和13年に完成したA・レーモンド設計の東京女子大学礼拝堂においては、格子状の外壁コンクリートをPCのブロックによって製作している。この建物では、階段の手摺なども軽量コンクリートのプレキャストで製作した。

しかしPCの建築における本格的な採用は、戦後の住宅不足の際に住宅を大量に供給するための手段として登場する。昭和10年代から田辺平学らによって開発が始められた組立式鉄筋コンクリート構造「プレコン」は、コンクリートによるプレハブ住宅のはしりであり、昭和23年に組立耐火建築㈱を設立してその供給を開始する。また、コンクリートブロック造の住宅も供給され始め、住宅を大量生産する工業化技術として、PCが発達していく。

これらは基本的に構造体のプレハブ化を目指したものであったが、その一方で非構造部材のPCも、化粧部材として徐々に発展していく。例えば穴あきブロックや手摺等で部分的に採用されはじめ、やがて建物の外壁の全面を構成するものが登場する。それが、日本における最初のPCカーテンウォールとして位置づけられる、ともに昭和27年に建設された2つの建物、銀座露天商組合ビルと日本相互銀行本店ビルである。[続きを読む]

 
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